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戦争責任について思うこと - 私は誰かの知識によってできている
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戦争責任について思うこと - 私は誰かの知識によってできている
毎年のように当時の政府及び天皇の戦争責任について問う議論が出てきている。 しかし菊タブーや左翼の極... 毎年のように当時の政府及び天皇の戦争責任について問う議論が出てきている。 しかし菊タブーや左翼の極端な論説が幅をきかせていたことから議論は低レベルなものに終止することが多い。 低レベルな議論は極東軍事裁判における各種判決内容と、戦争指導していた集団に対して敗戦の責任を問うことがごちゃまぜにしていることにある。 極東軍事裁判についてはすでに多くの論説が展開されている。 曰く法律の基礎である法の不遡及を犯してまで戦勝国が敗戦国を裁く私刑がまかり通った。 ニュルンベルク裁判と合わせてこの裁判以降、戦争を犯罪として取り扱うように国際社会は変容した。 勿論サンフランシスコ平和条約によって日本は裁判の判決を受けいれている経緯があるこては知っている。 だが判決を受け入れるが裁判のやり方自体に問題があれば無効となる。 例えばイラクで捕縛されたサダム・フセインは裁判で死刑となったが、イラク戦争を始めたきっか