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謎の「ミトラ教」最大の神殿は、なぜ古代ローマ憩いの場・カラカラ浴場の下に作られたのか? | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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謎の「ミトラ教」最大の神殿は、なぜ古代ローマ憩いの場・カラカラ浴場の下に作られたのか? | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
古代ローマ世界では、古代ギリシャの神々をローマ風にアレンジした多神教が流布していたが、他の多様な... 古代ローマ世界では、古代ギリシャの神々をローマ風にアレンジした多神教が流布していたが、他の多様な宗教も信仰されていた。その中の1つに、紀元1世紀から4世紀の帝政期に流行したミトラ教がある。これは、古代インド・イランの太陽神ミスラ信仰、アケメネス朝ペルシャのゾロアスター教の流れを汲むもので、地中海世界に入って形を変えたものである。 ミトラはこの世に救いをもたらすため岩から生まれ、牡牛を屠(ほふ)り、牡牛の血は大地に生命をもたらすとされた。誕生は冬至に近い12月25日である。ミトラ神の彫像は、マントをひるがえしたミトラが右足で牡牛の後右脚を押さえつけ、左手で牡牛の鼻面をつかみ、右手でナイフを牡牛の喉元に突き刺す姿が表わされている。そしてそこには必ず、牡牛から流れる血に吸いつく善の象徴・犬と悪の象徴・蛇があり、牡牛の睾丸に毒を刺すサソリがいる。 レリーフではより詳しく描写されている。左端にミトラ