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後藤健生の「蹴球放浪記」第95回「香港から陸路国境を越えて中国入り」の巻(2)1980年のワールドカップアジア予選・パスポートに捺された「リスキーなスタンプ」 | サッカー批評Web
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後藤健生の「蹴球放浪記」第95回「香港から陸路国境を越えて中国入り」の巻(2)1980年のワールドカップアジア予選・パスポートに捺された「リスキーなスタンプ」 | サッカー批評Web
蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーあるところ、どこにでも赴く。だからこそ、まだ国内では情報が圧倒的... 蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーあるところ、どこにでも赴く。だからこそ、まだ国内では情報が圧倒的に少ない1980年代でも、日本代表の好勝負を目にすることができた。その香港の地の先には、未知の世界である中国が待ち受けていた。 ■入国が難しかった中国に突入 さて、もう一つ観光の目玉が「中国」でした。なにしろ、当時はまだ中国に渡ることはなかなか難しい時代です。香港と中国本土の境界線のそばに落馬州という小さな丘があり、中国本土を覗ける名所になっていました。 現在、韓国に行くと北朝鮮が覗ける展望台があって観光客で賑わっていますが、それと同じですね。もっとも、せっかくバスを乗り継いで行ってみても、ただの農村風景が見えるだけなんですが、それでも「中国」は珍しいんですね。 そして、1980年には香港の中国旅行社という会社に申し込むと1日ビザがもらえて、国境を越えて中国側に入れるようになったんです。そこで、