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西尾幹二、最後のメッセージ(三) – 西尾幹二のインターネット日録
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西尾幹二、最後のメッセージ(三) – 西尾幹二のインターネット日録
それは自由ではない 結局のところ、西尾氏の苛立ちは西洋文明そのものよりも、それに正面から立ち向かお... それは自由ではない 結局のところ、西尾氏の苛立ちは西洋文明そのものよりも、それに正面から立ち向かおうとしなかった日本に向けられる。自分は日本人だという自覚がそうさせるのだ。例えば、16世紀以降、西洋がアメリカ大陸を「新大陸」と考えて覇を競っていた時代、当時、世界一の陸軍を持つといわれていた日本の織田信長も豊臣秀吉も、その後の徳川政権もこれに関心を持たなかったことを嘆いている。 《西洋文明がアメリカというものに総力を挙げて殺到していく長い時間に日本人は蚊帳の外にいた。西洋人の野心も夢もそしてまた狂気も、江戸・明治の日本人はつゆ知らなかった》 秀吉については、明に戦いを挑み、朝鮮出兵したことを理由に狂気の人物のように描くのが多くの歴史本でもNHK大河ドラマでも定番だが、西尾氏は違う。 《秀吉はモンゴルのチンギス・ハーンやフビライ・ハーン、スペイン王国のフェリペ二世と同じ意識において世界地図を眺