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ジンメルを呼べ? - Living, Loving, Thinking, Again
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ジンメルを呼べ? - Living, Loving, Thinking, Again
承前*1 そういえば、「疎外」も流行りなのか。 「疎外」というのは一方では誰もが疎外されてるぅといじ... 承前*1 そういえば、「疎外」も流行りなのか。 「疎外」というのは一方では誰もが疎外されてるぅといじければみんな疎外になってしまうという恣意的な概念になるか、恣意性を避けようとすれば怪しさ(妖しさ)満点の本源性なるものを持ち出すしかないという、どうしようもないものだと思っていた。そのようなディレンマに陥ることなく「疎外」を語るには、マルクスではなく、ジンメル(或いはディルタイ)を呼び出すべきなのかも知れない。 秋元律郎『マンハイム 亡命知識人の思想』から、ジンメルの「近代文化の葛藤」を孫引きしてみる; 生の創造的活動が若干の形象をつくりだすとき、われわれは文化について語っているのであって、これらの形象に生の創造的活動の表現、つまりその現実化の諸形式がみられ、またこれらの形象は、あとからくる生の流れをとり入れ、この流れに内容と形式、舞台と秩序を与える。(略)生の諸過程からうまれたこれらの産物