エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
藤壺の宮から返事が来る【源氏物語100 第七帖 紅葉賀2】行幸の日、源氏が舞う時 かざしにした葉数の減った紅葉を左大将が白菊の花に差し替えた。 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
藤壺の宮から返事が来る【源氏物語100 第七帖 紅葉賀2】行幸の日、源氏が舞う時 かざしにした葉数の減った紅葉を左大将が白菊の花に差し替えた。 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。 「どう御覧くださいましたか。 苦しい思いに心を乱しながらでした... 翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。 「どう御覧くださいましたか。 苦しい思いに心を乱しながらでした。 物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うち振りし 心知りきや 失礼をお許しください。」 とあった。 目にくらむほど美しかった昨日の舞を 無視することがおできにならなかったのか、 宮はお書きになった。 から人の 袖ふることは 遠けれど 起《た》ち居《ゐ》につけて 哀れとは見き 一観衆として。 たまさかに得た短い返事も、 受けた源氏にとっては非常な幸福であった。 支那《しな》における青海波の曲の起源なども 知って作られた歌であることから、 もう十分に后らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、 手紙を仏の経巻のように拡《ひろ》げて見入っていた。 行幸の日は親王方も公卿《くぎょう》も あるだけの人が帝の供奉《ぐぶ》をした。 必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を漕《こ》ぎまわり、 唐の曲も高麗