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鐘の音と魂の耕作 - 生きてみた感想
ひょんなことから「往く年来る年」という番組を見ることになりました。低く伸びやかな鐘の音、遠くで響... ひょんなことから「往く年来る年」という番組を見ることになりました。低く伸びやかな鐘の音、遠くで響くように呻かれるお経、そしてその画面を見つめる人びとの、どことなくうきうきとして、それでいながらなにか敬虔なところのある雰囲気を感じながら、いろいろと思いました。最初に思ったのは本当に身も蓋もないことでした。毎年毎年おなじことをして、飽きないんだなあ、と。そして、どうして飽きないのかを考えはじめました。 なぜ、飽きることなく同じことを反復するのか。しかし、おそらくこの問いの設定は間違えています。むしろ本当に問うべきなのはこういうことです。反復することでしか生まれない何がそこにあるのか。そう考えながら僕は、ベルナール・スティグレールが『象徴の貧困』の二巻で書いていた次の言葉を思い出していました。 日曜日ごとに信者たちは、教会や礼拝堂において、つまり彼らの礼拝の場所において、絵画やステンドグラスやタ