エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『吾妻鏡』に見る源実朝暗殺 - 我が九条
北条義時黒幕説に対する反対意見として、義時が黒幕ならば、自身の関与を疑わせるような記録を残すわけ... 北条義時黒幕説に対する反対意見として、義時が黒幕ならば、自身の関与を疑わせるような記録を残すわけがない、というのがある。その通りである。この件に関する公的な記録とは『吾妻鏡』のことであるが、『吾妻鏡』には義時を黒幕とうかがわせる記述はどこにもない。それどころか全力を挙げて義時が黒幕ではないことを喧伝しており、実朝が事件に遭遇したのは実朝の責任であることをほのめかしているのである。 実朝が暗殺された建保7年正月27日条には「抑今日勝事、兼示変異事非一」としてさまざまな予兆が示されている。 1 大江広元が「私は成人した後、涙を浮かべたことがなかったのに、今おそばに参りますと落涙がとまりません。頼朝公の先例に従い装束の下に鎧を付けて下さい」と言った。しかし源仲章が反対したため実行されずに実朝と仲章が災厄に巻き込まれた。つまりここで言いたいのは仲章に大きな責任がある、ということである。 2 秦公氏