エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
マスコミが讃えた”楽園”のその後、ひとりの少女の成長記録『愛しきソナ』
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
マスコミが讃えた”楽園”のその後、ひとりの少女の成長記録『愛しきソナ』
大阪生まれの梁英姫監督の姪っ子にあたるソナちゃん。 ピョンヤンの外貨レストランで、アイスクリームを... 大阪生まれの梁英姫監督の姪っ子にあたるソナちゃん。 ピョンヤンの外貨レストランで、アイスクリームを愛おしそうに食べる。 そこは”地上の楽園”と謳われ、9万人以上もの人々がユートピアを求めて海を渡った。これはファンタジーのお話ではなく、戦後の日本で起きた現実の出来事。1959年から84年にかけて行なわれた北朝鮮への”帰国事業”のことだ。当時は在日への民族差別がキツく、日本での就職が難しいことから多くの若者たちがまだ見ぬ祖国へと次々と入国していった。社会主義国の北朝鮮では完全就職と生活保護が約束されていたのだ。日本の大手新聞もこぞって「民族の大移動」「バラ色の地上の楽園」「新国家の建設」と美化して讃えた。しかし、北朝鮮と日本は未だに国交が結ばれず、一度北朝鮮に渡った人たちの日本への再入国はほとんど許されていない。では、理想を抱いて”地上の楽園”に向かった人たちは、その後どのような生活を送ったの