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「本など読まなくても生きてこられた」 読書嫌いの横尾忠則が“知識人とうまく交流できる”ワケ(全文) | デイリー新潮
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「本など読まなくても生きてこられた」 読書嫌いの横尾忠則が“知識人とうまく交流できる”ワケ(全文) | デイリー新潮
最近は時々、こんなことを考えます。それは僕が読書生活とは全く無縁の生き方をしてきたことに対する想... 最近は時々、こんなことを考えます。それは僕が読書生活とは全く無縁の生き方をしてきたことに対する想いです。アトリエにも自宅にも本は山ほどあります。だけど、あるだけでほとんど読んでいません。僕にとっては別に本は読まなくてもいいのです。大事なのは買うことです。読書ではなく買書です。買うことによって、その本の魂のようなものを吸い取れば、それは読んだことになります。 読書は集中力が必要ですが、僕は子供の頃から集中というより、いつも心を拡散していました。ひとつのことに集中するのがニガ手です。ただし絵だけは別です。子供の頃から集中して模写ばかりしていました。それは本を読むように他人の描いた絵をそっくり換骨奪胎してその絵の作者になり切ることでした。文字を読む代りに絵を食べるように模写して体内で消化していたのかも知れません。もしかしたらこの行為が読書に代る行為だったのかも知れませんね。 読書は人の考えを頭で