エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
阿弥衣をつけた時宗の僧 ・鎌倉時代・武装の伸展 日本服飾史 資料・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
阿弥衣をつけた時宗の僧 ・鎌倉時代・武装の伸展 日本服飾史 資料・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~
時宗は一遍上人[1239〜1289]によって創始された浄土宗の流れをくむ念仏教団である。 しかし法然や親鸞... 時宗は一遍上人[1239〜1289]によって創始された浄土宗の流れをくむ念仏教団である。 しかし法然や親鸞の専修念仏とは異質のもので、日本固有の民族信仰を内蔵し、野性的な自然主義が見られる。 時宗の法衣は従来の中国的、また日本の貴族的な法衣を捨てて、庶民的な服装のなかに法衣を見出した。即ち式正(しきせい)の衣、裳の観念を排した裳なしの衣で、粗雑な繊維の故に網衣(あみえ)と呼ばれ、人の用いるものではないという意味から「馬ぎぬ」とも呼ばれたが、宗団の人は却ってこれを阿弥衣と尊んだ。 墨の阿弥衣に墨の五條袈裟、墨の下襲(したがさね)、白の下着、墨の帯に白の手巾(しゅきん)をかけ、手には数珠と人々に配る「南無阿弥陀仏決定往生60万人」と書かれた念仏の紙片を持っている。 着装の阿弥衣は、京都観喜光寺に残る、元亀3年[1572]の有三上人依用の墨書のあるものの寸法を基準とした。 1 網衣(あみえ)[