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なぜ真田信繁は敗れ、家康は徳川幕府300年の礎を築けたのか - ページ 2 / 2 - まぐまぐニュース!
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なぜ真田信繁は敗れ、家康は徳川幕府300年の礎を築けたのか - ページ 2 / 2 - まぐまぐニュース!
今放送中の大河ドラマ「真田丸」を見ても、長野県の小さな領主に過ぎない真田家は、ずっと「真田の里が…... 今放送中の大河ドラマ「真田丸」を見ても、長野県の小さな領主に過ぎない真田家は、ずっと「真田の里が……」という話ばかりしています。織田信長から現在の拠点を没収されて、「敵の領土を奪って新しい拠点にしろ」と言われた明智光秀は、絶望して本能寺の変を起こしますが、一拠点にこだわる人物は大抵、天下が取れません。 そもそも、当時は「京都を押さえれば天下が取れる」という考えが一般的だったのに、織田信長は安土、豊臣秀吉は大阪、徳川家康は江戸と、三英傑はみんな京都を拠点にしていません。その時代や時流に合わせて、利便の良い場所に利便の良い新たな拠点づくりをすればいいわけで、「京都を拠点に」という考え方が一切なかったところが、三英傑の天下を取る視野だったと言えます。 トップに立つ人間がそのような視野を持っているので、その家臣たちは、新しい領地替えになっても、「次の領地でも実力を発揮しますよー」という家臣はいつま