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ドラフト4回拒否した中日選手 5回目で入団し新人王を獲得
24日にドラフト会議が開催され、多くの新人たちがプロ野球界の門を叩くことになる。これまでも多くのド... 24日にドラフト会議が開催され、多くの新人たちがプロ野球界の門を叩くことになる。これまでも多くのドラマを生んできたドラフトにおいて、大変珍しい記録を持つ元・中日の藤沢公也について、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。 * * * 日本プロ野球でドラフト制度が誕生したのは1965年。それから約半世紀の間、仕組みは何度も変更されてきた。かつては球団ごとの指名の人数制限がないなど、比較的規則が緩い時代があり、そのため指名しても選手が入団する見込みはないが、とりあえず指名だけはしておこうという例もあった。 そうして指名の回数ばかりが増えていったのが、元中日の藤沢公也だ。江川卓がドラフト1位で3回指名されて2回拒否したのは有名な話だが、藤沢はそれを上回る「5回指名、4回拒否」という記録を持っている。最初は1969年だ。八幡浜高(愛媛)で3番・エースとして活躍した藤沢は、ロッテから3位指名を受けるが、拒
2013/12/14 リンク