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昭和天皇、占領軍の言いなりにならぬ姿勢示した「人間宣言」
皇太子時代に“君臨すれども統治せず”という在り方に接した昭和天皇は、明治憲法下で立憲君主であろうと... 皇太子時代に“君臨すれども統治せず”という在り方に接した昭和天皇は、明治憲法下で立憲君主であろうとした。だが、二度、切迫した事態により直接行動をとったことがあると戦後、語っている。それは二・二六事件で反乱軍の鎮圧を命じたことと、ポツダム宣言の受諾である。戦後、「象徴天皇」となってからも、昭和天皇はマッカーサーとのトップ会談に計11回も臨んだ。現代史家の秦郁彦氏が解説する。 * * * 昭和天皇が自らの政治センスをフルに働かせたのは、終戦から6年9か月続いた占領期だった。新憲法が成立すると、天皇は「国民統合の象徴」となったが、占領軍の最高司令官マッカーサーと11回にわたるトップ会談をやるなど、先頭に立ってさまざまな交渉を行った。 ある意味で、敗戦は天皇を「解放」したとも言えるだろう。それまで自分の意向をないがしろにしてきた軍部首脳や重臣たちがいなくなり、昭和天皇はのびのびと外交手腕を発揮され
2018/09/07 リンク