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小倉藩ワインを論文に 元学芸員が発表 江戸初期、細川忠利命じ犀川大村で | 西日本新聞me
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小倉藩ワインを論文に 元学芸員が発表 江戸初期、細川忠利命じ犀川大村で | 西日本新聞me
豊前小倉藩時代の細川家に詳しい北九州市立自然史・歴史博物館(八幡東区)の元学芸員、永尾正剛さん(... 豊前小倉藩時代の細川家に詳しい北九州市立自然史・歴史博物館(八幡東区)の元学芸員、永尾正剛さん(71)=行橋市中央3丁目=が、藩主の細川忠利(1586~1641)が家臣に命じ、みやこ町犀川大村地区でぶどう酒を造ったとする、これまでの研究成果を論文「細川小倉藩の『葡萄(ぶどう)酒』製造」にまとめた。日本で本格的なぶどう酒(ワイン)造りは明治期に始まったとされるが、歴史がさかのぼる可能性がある。 細川家は関ケ原の戦いの功で1600年代初めの約30年間、豊前(福岡県)を治めた後、肥後(熊本県)に移った。元首相の細川護熙氏は子孫に当たる。 永尾さんは「小倉藩の礎を築いた細川家の業績を明らかにしよう」と、細川家が文化財を管理・研究して展示する永青文庫(東京)に着目。1980年ごろ、同文庫の古文書を保管していた熊本大付属図書館(熊本市)に通い、藩主の命令を記録した「奉書」などを調べ、「ふたう酒(ぶどう