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江戸の海防を任された徳川家康の水軍編成のブレーン船奉行・向井正綱とは? | 歴史人
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江戸の海防を任された徳川家康の水軍編成のブレーン船奉行・向井正綱とは? | 歴史人
陸の合戦では無類の強さを発揮した徳川家康(とくがわいえやす)だが、水軍に関しては後発の大名であっ... 陸の合戦では無類の強さを発揮した徳川家康(とくがわいえやす)だが、水軍に関しては後発の大名であった。同じ関東の武田、北条の水軍のノウハウを吸収しながら、独自の水軍を整備していった。徳川水軍のキーマンとなった向井正綱(むかいまさつな)の人物像に迫る。 徳川家康に仕えた20人の主要家臣団を描いた絵画。これ以外にも多くの作品があり、描かれた武将、その数も異なる。「徳川二十将図」出典/ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) など 水軍・海賊衆といえば、安芸(あき)の毛利(もうり)や織田の水軍が知られる。関東地方では、北条氏が水軍を組織し、山国のはずの武田氏も信玄(しんげん)が駿河(するが)を領有してから水軍を編成した。その中核となったのは、信玄に招かれた伊勢の海賊衆(小浜・間宮・向井氏など)であった。 武田勝頼(たけだかつより)が滅亡した後、家康は武田水軍の小浜・