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【私の失敗(2)】寺川綾、手の震え止まらず…気持ちが切れていたアテネ五輪後
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【私の失敗(2)】寺川綾、手の震え止まらず…気持ちが切れていたアテネ五輪後
2004年のアテネ五輪が終わると、張り詰めていた気持ちがぷっつりと切れた。「私は本当に水泳が好き... 2004年のアテネ五輪が終わると、張り詰めていた気持ちがぷっつりと切れた。「私は本当に水泳が好きなんだろうか」。五輪を経験して、そう感じた。 近大2年、19歳で出場した初めての五輪。屋外プールで、高校総体みたいな雰囲気だった。準決勝ぐらいまでは何とも思わなかったのに、決勝になるとムードはガラッと変わった。200メートル背泳ぎの決勝で、手が突然、震えだした。スタートするときも手が震えていたのを覚えている。200メートルをどう泳ぎ切ったすら覚えていない。結果は8位。とにかく泳ぎ切ったというのがアテネ五輪だった。 帰国後、周りの人からは「次の北京五輪でメダルを目指すんだよね?」と何度も言われた。だが、自分の中で「メダルを絶対に取りたい」とは思えなかった。自分の想像以上に周囲の期待の方が大きかった。応えないといけないと、頑張ってきたが、「私の水泳ってこんなものではない」と感じていた。期待に応えるの