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「大船」編 その②|西村まさゆき(駅名編)|ソラdeブラーン|湘南モノレール株式会社
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「大船」編 その②|西村まさゆき(駅名編)|ソラdeブラーン|湘南モノレール株式会社
■前回のあらすじ 「大船」の地名の由来をさぐると、たいていの書籍では「古地名の「粟船(あわふね)」... ■前回のあらすじ 「大船」の地名の由来をさぐると、たいていの書籍では「古地名の「粟船(あわふね)」が変化したもの」と書かれている。それを踏まえて、次の疑問が浮かび上がった。 ㋑ 大船周辺に「粟を載せた船が着岸」するほどの水辺があったのか。 ㋺ なぜ「粟」を載せた船なのか。船が入れるほどの水辺があったのであれば例えば「船津」みたいな地名でも良かったのではないか? 船にわざわざ粟を冠する理由はなんだったのか? ㋩「アハフナ(あわふな)」が、なぜ「オホフナ(おーふな)」になったのか。確かに「似ている」と強弁されればそういう気になるものの、でも「あわ」と「おー」はずいぶん差があるのでは? 今回は、以上の謎を考察したい。 それではまず、㋑の疑問について調べてみたい。 『鎌倉市史』を紐解くと、その疑問はすぐに解けた。こちらの画像を御覧いただきたい。 縄文時代の海岸線(『鎌倉市史』より) これは、縄文時