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【黄金の記憶】本山雅志と東福岡~雪の決勝でなぜ彼らは、伝説の“3冠”を達成できたのか | サッカーダイジェストWeb
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【黄金の記憶】本山雅志と東福岡~雪の決勝でなぜ彼らは、伝説の“3冠”を達成できたのか | サッカーダイジェストWeb
しなやかに、優雅にピッチを舞った芸術家。その圧倒的な技巧で、全国のサッカー少年たちを虜にした。(C)... しなやかに、優雅にピッチを舞った芸術家。その圧倒的な技巧で、全国のサッカー少年たちを虜にした。(C)SOCCER DIGEST 画像を見る 高校時代、本山には志波先生と並ぶ恩師がいた。かつて八幡製鉄サッカー部で監督を務め、全国有数の強豪に鍛え上げた人物、寺西忠成さんだ。この時、60代後半。すでに第一線の指導から退き、週に1~2回だけやってきては、東福岡の選手たちに極意を伝授していた。 とりわけ本山は、才能に惚れ込まれたのか、つねに傍に置かれて指導を受けたという。八幡製鉄サッカー部は北九州市を本拠地とし、九州サッカーの礎を築いた伝説のチーム。北九州がサッカーどころなのもそこに起源があり、寺西さんは自身も暮らす北九州の出身である本山を、ことのほか気にかけていたのだ。本人も心酔しきっていたと語る。 「すんごい細かい局面の話とか、なにを質問してもすぐに明確な答をしてくれるんです。1ボランチなら1対