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大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(15)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
5月8日(日)に放送された第18回では、天正15年(1587)2月における真田昌幸の羽柴(豊臣)秀吉への上... 5月8日(日)に放送された第18回では、天正15年(1587)2月における真田昌幸の羽柴(豊臣)秀吉への上洛・出仕、同年3月の駿河駿府城での寄親となった徳川家康への出仕が扱われていました。 昌幸が秀吉に出仕した時期については、実は近年まで明確ではありませんでしたが、それを記した史料が新しく確認されたことでわかったのです。そのことを記しているのは、今のところ私の『真田昌幸』(小学館)だけのようですね。 さてこの回で、いよいよ「惣無事令」がセリフとして登場しました。すでにその内容については、前回までのうちに何度となく出てきていましたが、昌幸の秀吉への出仕に合わせて、この用語を登場させています。惣無事令の遵守は、秀吉に服属することと一体のことでしたので、そのことがより印象付けられるようにという、ちょっとした工夫といえるでしょう。 昌幸は、徳川家康の与力にされますが、これも史実です。おそらくは家康
2016/05/09 リンク