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浜口庫之助が選んだ人生への思いが込められていた石原裕次郎の「粋な別れ」
1987年に52歳の若さで亡くなった石原裕次郎について、ソングライターの浜口庫之助は著書「ハマクラの音... 1987年に52歳の若さで亡くなった石原裕次郎について、ソングライターの浜口庫之助は著書「ハマクラの音楽いろいろ」のなかでこのように述べている。 人間の一生には、花の部分と、実の部分と、幹と根とがあるように思う。 子どもは、みんな種で、どんぐりだ。 学生時代は小さな木だ。この辺から花をチラチラ咲かせる連中が出てくる。 裕次郎は、そのころに花を咲かせ、そのあとずうっと花として生きて、一生を終わったのだ。 1966年の年末に「星のフラメンコ」と「バラが咲いた」で第8回日本レコード大賞で作曲賞を受賞した直後、浜口は40歳になったと同時に”花”の時代を自ら終わりにしていた。 どうしてなのかはわからないが、「お前はもう花の時代ではない」という声が心の中から聞こえてきたのだという。 ちょうどその頃、浜口は裕次郎に頼まれてリサイタルのために2曲を書き下ろした。 それが「粋な別れ」と「夜霧よ今夜も有難う」
2017/08/18 リンク