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全山廃寺で神社となったが、寺院への復活をとげた寺。廃仏毀釈(7)金峯山寺 - 大和徒然草子
皆さんこんにちは。 前回は、全村廃寺となり、いまだに復興された寺院がほとんど皆無という十津川村につ... 皆さんこんにちは。 前回は、全村廃寺となり、いまだに復興された寺院がほとんど皆無という十津川村についてご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com さて、前回の十津川村もそうでしたが、吉野といえば「修験道」のメッカですね。 今現在、修験道の中心的な場所となっている、桜で有名な吉野山がどのような状況であったのか。 今回は吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)についてご紹介していきたいと思います。 修験道の中心地 全山廃寺で神社化、そして寺院への再帰 修験道の中心地 吉野山の峰に建つ金峯山寺は、東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇る本堂、蔵王堂(国宝)と、その中に祀られた、3体の巨大な蔵王権現で知られています。 7世紀末に、修験道の開祖、役行者によって創建されたと伝わりますが、正確な創建年は不明です。 9世紀には一時荒廃しましたが、894(寛平6)年、京都醍醐寺の開祖としても知られる真言宗
2019/10/17 リンク