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思想と思考の春から | 安井建築設計事務所
大正時代、建築家・宗兵蔵(そうひょうぞう、1864-1944)が大阪で活躍した。明治の中盤の宗は、大建築... 大正時代、建築家・宗兵蔵(そうひょうぞう、1864-1944)が大阪で活躍した。明治の中盤の宗は、大建築家・片山東熊のもとで奈良と京都の国立博物館の設計監理に従事した。その後海軍で施設設計に携わり、やがて活気ある大阪に腰を据えて藤田組本社(1913)や千代田生命大阪支部(1915)などの設計に携わり、様式建築の素養に裏打ちされた成果を世に示した。タイミングとしては、華麗で闊達なこれらの仕事は、明治生まれの建築家が本領を発揮する舞台となった。その後、設計活動の終盤になると若いスタッフが加わり、現存している、灘高校本館(1928)や生駒時計店(1931)などでキレのあるデザインへの挑戦が始まる。宗は1931年に設計事務所を閉じたので、新たな趣向への挑戦は期間が限られ、時代の担い手はここで次世代に移る。インターナショナルスタイルを研ぎ澄ませたのは、1884年生の安井武雄らの世代であった。 確かに
2010/04/08 リンク