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■以下は『月刊日本』7月号に掲載予定の『江藤淳とその時代 5』です。 ーーーーーーーーーーーー 漱石の東京帝国大学辞職と朝日新聞入社が 、漱石の文学にとってだけでなく 、日本近代文学全体にとっても 、あるいは近代思想史全体にとっても、極めて重要な 、エポックメーキングな出来事=事件だったことは明らかである。ここで、文学は、あるいは小説は、国家や大学 、あるいは政府や大学が主導する近代化=欧米化という世俗的価値観から独立した、独自の自立的存在を主張することになる、と言っていい。 そして同じことが、江藤淳に
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■以下は『月刊日本』7月号に掲載予定の『江藤淳とその時代 5』です。 ーーーーーーーーーーーー 漱石の... ■以下は『月刊日本』7月号に掲載予定の『江藤淳とその時代 5』です。 ーーーーーーーーーーーー 漱石の東京帝国大学辞職と朝日新聞入社が 、漱石の文学にとってだけでなく 、日本近代文学全体にとっても 、あるいは近代思想史全体にとっても、極めて重要な 、エポックメーキングな出来事=事件だったことは明らかである。ここで、文学は、あるいは小説は、国家や大学 、あるいは政府や大学が主導する近代化=欧米化という世俗的価値観から独立した、独自の自立的存在を主張することになる、と言っていい。 そして同じことが、江藤淳にも言えるような気がする。江藤淳の「日比谷高校時代」については、あまりよく知られていないが、いくつかの同級生や教師たちの証言を調べていくと、漱石の東京帝国大学辞職事件に匹敵するような「問題」をはらんでいるようにみえる。 柄谷行人が、江藤淳の「日比谷高校時代」について、「追悼文」で、面白いことを