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岩木山山頂 : くぐる鳥居は鬼ばかり
昭和39年1月、秋田県大館鳳鳴高校の山岳部員5人が遭難し、4人が死亡する遭難事故が発生しました。山頂や... 昭和39年1月、秋田県大館鳳鳴高校の山岳部員5人が遭難し、4人が死亡する遭難事故が発生しました。山頂や登山道の途中には3つの避難小屋があり、このうち岩木山頂西側の御倉石下部に位置する鳳鳴ヒュッテは大館鳳鳴高校の遭難事故の翌年に建てられたものです。 鳳鳴ヒュッテの由来…『昭和39年(1964)1月6日、本校山岳部生徒が厳冬の岩木山に百沢口より登頂、下山途中猛吹雪のために遭難し、石田隆司、乳井孝司、畠山勉、金沢吉郎の四君は夢多い青春の志半ばにして大鳴沢(鯵ヶ沢町)の雪の中に散った。このヒュッテは彼らの御霊を鎮め、再び悲劇の起こらぬことを願って、冬期登山の避難小屋として全国から寄せられた多くの方々の善意をもとに、岩木町が建設、昭和40年9月22日竣工した。この銘板は平成8年(1996)10月16日岩木山遭難三十三回忌慰霊祭を執り行った際の、ご遺族並びに本校山岳部のOB会からの芳志を基にして設置し