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「子育てのできる南相馬に」がん抱えつつ被災地支えた産婦人科医 高橋亨平さん死去+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
「やり残したことがある」と被災地にとどまり、地域医療の屋台骨となった医師が亡くなった。東日本大震... 「やり残したことがある」と被災地にとどまり、地域医療の屋台骨となった医師が亡くなった。東日本大震災で大きな被害を受けた福島県南相馬市で、末期がんのため「余命半年」と告げられながら診療を続けた「原町中央産婦人科医院」院長、高橋亨平(きょうへい)さんが22日午後、肝機能障害のため南相馬市内の病院で死去。74歳だった。 高橋さんは福島県立医科大を卒業後、昭和46年から原町市立病院(当時)で産婦人科医を務めた。55年に開業し、取り上げた赤ちゃんは1万人を超える。 「自分のやれることをやらなければ」。多くの市民が避難し、医師不足が顕著になった南相馬市。それでも地元に残り、診療を続けた。 強い意志の宿った体は病魔にむしばまれていた。平成23年5月に大腸がんが発覚。転移も判明し、「余命半年」の宣告を受けた。しかし、「子育てのできる南相馬に」との思いを胸に新しい生命を取り上げ、被災地の医療を支えた。 数週
2013/01/24 リンク