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国家主義者平泉澄教授の戦慄 人間魚雷と731部隊 (その2) | ごきげんようチャンネル
皇国史観の鬼・平泉澄。戦慄の事実は、まだつづく。 8月15日。玉音放送の日。この人物はどんな行動をと... 皇国史観の鬼・平泉澄。戦慄の事実は、まだつづく。 8月15日。玉音放送の日。この人物はどんな行動をとったか。 この日、平泉澄は昼食を大学の研究室でとり、午後1時からの教授会では一言も発せず、会議が終わると辞表を文学部長に提出して、そのまま福井の生家に帰った。 敗戦に衝撃をうけて隠棲したのではなかった。その後、何度か上京しては、なにか工作をしていた。評伝『平泉澄』の著者・若井氏は、皇子・皇女を福井の山中に隠す準備をしていたのではないかと推測している。 「おそらく、平泉は恒良・尊長両親王をいただいて北陸に落ちる新田義貞の心境だったのだろう。まさに「皇統継ぎたまふ有らば即ち足れり」である。」(290-292頁) 特攻作戦や細菌兵器の推進に関わったあと、敗戦が現実になると、天皇の処刑や皇室の廃絶を予想して、平泉はただちに次の行動に着手したのである。自分とは何の関係もないはずの南北朝時代の武将になら
2014/01/30 リンク