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日中パンダ外交交流史試論
この年表とさきほどのパンフレットの記述を照らしあわせてみると、整合性について以下のような疑問点が... この年表とさきほどのパンフレットの記述を照らしあわせてみると、整合性について以下のような疑問点が湧いてくる。 天武天皇の在位は西暦673(672)年から686年、武則天(則天武后)の在位は690年-705年で、658年にはどちらもかぶらないよ。658年に即位していた日本の天皇は重祚した皇極天皇である斉明天皇で、唐の皇帝は高宗だ。 もしかして、西暦685年の間違いかな? それならば双方の在位にいちおうかぶる。 『皇家年鑑』というのが何のことだか分からなかったので、とりあえず日本書紀巻廿九天武紀の天武十四年(685年)を見てみたけど、高麗や百済や新羅からきた人がいろいろくれた話はあっても、そもそも唐から使者が来てなんかくれたという記述がみつからなかった。同じく、巻廿十六の斉明紀にもない。 仮に685年の間違いだとして、その年にパンダが日本に贈られていたとしたら、685年(垂拱元年)の在位はいち
2012/07/12 リンク