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現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づくべし | 京都大学 都市社会工学専攻
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現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づくべし | 京都大学 都市社会工学専攻
日刊建設工業新聞 所論緒論2011年 2月10日 現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づ... 日刊建設工業新聞 所論緒論2011年 2月10日 現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づくべし 京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻 教授 藤井 聡 「経済」という言葉はそもそも中国の古典の中にある「経世済(けいせいさい)民(みん)」という言葉が起源である。これは「世を經(おさ)め民を濟(すく)う」ことを意味している。つまり民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。 しかしこの言葉の含意は現代の「経済学」ではほとんど顧みられることがなくなった。例えば経済政策を考える分野が「公共経済学」と言われているのだが、わざわざ「公共」という言葉を付けねば公的政策を語れぬほどに「経済」という言葉の中から公共性が蒸発してしまったのである。 とはいえ現代経済学がそうであったとしても、経世済民の精神が日本から完全に蒸発した訳ではない。例えば柳田國男は貧困にあえぐ