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ベトナム秘史に生きる「日本人」 | Web草思
日本は1951年、サンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰した。これを受け、東南アジア外交においては... 日本は1951年、サンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰した。これを受け、東南アジア外交においては最初に「賠償」の問題に直面した。この賠償とは、同条約第14条により発生した義務で、「日本が太平洋戦争で相手国に与えた損害および苦痛に対して支払」われるべき(『東南アジアを知る事典』)ものだった。 だが賠償が途上国である受償国のインフラ整備に大きく貢献したことを考えれば、賠償という言葉にまとわりつく「罪の償い」というマイナスイメージに寄りかかって「日本の旧悪」へと思考を進めることが、必ずしも正しい姿勢とは言えないだろう。 こと対ベトナム賠償に関しても事情は同様であり、否定的になり過ぎるべきではない。むしろ賠償にあたり、戦中に日本人が築いた人脈が機能し、独立間もない国のインフラ整備に貢献したという、積極的な面を見てみる必要があるだろう。 1954年、南ベトナム(当時ベトナム国、のちベトナム
2010/11/01 リンク