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エッセイ174:洪 玧伸 「アジアに一つしかない碑―宮古島の<慰安婦>のための碑建立までを中心にー(その2)」 SGRA
日本軍「慰安婦」の碑を建てるまで 沖縄戦における朝鮮人と住民の関係性について調査を進めてきた筆者... 日本軍「慰安婦」の碑を建てるまで 沖縄戦における朝鮮人と住民の関係性について調査を進めてきた筆者は、『平良市史』をはじめとする住民の戦争体験の中で語られている「慰安婦」についての証言を参考にしながら、1992年に沖縄の女性史グループがまとめたのべ130ヶ所の慰安所の中、宮古島にあったとされる11ヶ所の「慰安所」を手掛かりに、再調査を実施した。そして、野原の「慰安所」について語る証言者、与那覇博敏氏(1933年生)に出会った。 与那覇氏は少年時代に家の近くに「慰安所」があり、朝鮮人の女性たちがやや離れたところにある井戸まで洗濯しに行き来していたことを記憶していた。彼女たちはよく井戸からの帰りに道端にある木の下で腰をおろして休んでいたという。当時まだ小学生だった与那覇氏は、色白で綺麗な女性たちだったと思って彼女たちに唐辛子をあげたりして喜ばせたという。しかし、戦後、彼女たちが何故宮古島にい
2012/06/21 リンク