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栃木県立美術館
「二つの栃木」の架け橋 小口一郎展 足尾鉱毒事件を描く KOGUCHI Ichiro : A Retrospective 上:《「鉱... 「二つの栃木」の架け橋 小口一郎展 足尾鉱毒事件を描く KOGUCHI Ichiro : A Retrospective 上:《「鉱毒に追われて」より 35. 帰郷》( 部分)1971-73年 紙、木版 小口一郎研究会蔵 下:《「鉱毒に追われて」より 1. 治水か破水か》(部分)1971-73年 紙、木版 小口一郎研究会蔵 栃木県小山市出身で版画家として活躍した小口一郎(こぐち・いちろう、1914-1979)の全貌を、そのライフワークとなった足尾鉱毒事件を主題とした作品を中心に紹介します。 幼少期より絵画に秀でた才能を示した小口一郎は、1946年に鈴木賢二らが結成した日本美術会の北関東支部の活動に参加し、本格的に木版画を手がけるようになると同時に、仲間たちとともに、絵画教室での指導やサークル活動に熱心に取り組んでいきました。その一方で、やがて足尾鉱毒事件と田中正造のことを知って大きな衝撃を