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【コラム】祝福の歴史と怨念の歴史(上) | Chosun Online | 朝鮮日報
太平洋から東京湾に入るところにある神奈川県の久里浜海岸は、1853年にペリー提督率いる米軍艦隊が停泊... 太平洋から東京湾に入るところにある神奈川県の久里浜海岸は、1853年にペリー提督率いる米軍艦隊が停泊したことで有名だ。当時、日本が「黒船」と呼んで恐れたペリー艦隊の艦艇は4隻だった。ペリー艦隊が上陸して以降、日本が強要された不平等条約や、これを受けて日本国内で巻き起こった骨肉の争いは、開国直後の中国や韓国にも引けを取らないほどだった。 その発端となったペリーゆかりの久里浜に、ペリーの上陸を記念する「ペリー公園」がある。公園内には「北米合衆国水師提督伯理(ペリー)上陸記念碑」と「じょうきせんの碑」があるが、そこに刻まれた文章の意味を知って、妙な気分を味わったものだ。 「じょうきせんの碑」には、「太平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん=緑茶の一種) たった四杯(しはい)で夜も眠れず」という当時の狂歌が刻まれている。「蒸気船」と発音が同じ「上喜撰」を掛けたこの狂歌は、大きな歴史のうねりに直面
2009/05/12 リンク