エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
親日派も独立運動家も育んだ「帝国大学」の二つの顔
親日派も独立運動家も育んだ「帝国大学」の二つの顔 【新刊】鄭鍾賢(チョン・ジョンヒョン)著『帝国大... 親日派も独立運動家も育んだ「帝国大学」の二つの顔 【新刊】鄭鍾賢(チョン・ジョンヒョン)著『帝国大学の朝鮮人』(ヒューマニスト刊) 日本の敗戦後に祖国へ戻ってきた大韓民国臨時政府の要人たちは、建国の情熱こそ燃やしていたが、これを支える国家運営案や行政組織は持たなかった。そんな彼らの目に、総督府出身の朝鮮人官僚の姿が入ってきた。1945年12月17日、臨時政府の内務部長・申翼熙(シン・イクヒ)を委員長に「行政研究委員会」が発足した。総督府の高等文官出身者およそ70人が委員会に加わった。 申翼熙が彼らの前で演説した。「愛国とか救国とか言って倭賊とは妥協せず、日本のやつらをつかまえたいと、右も左も分からずでたらめに動き回っていた人々、なので私自身、行政についての能力や手腕は毛ほどもないのは事実です。仮に、皆さんは(中略)いささか親切を倭人に示したとしても、解放された祖国に献身努力して建国の基礎と