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flowerwild.net - 演技の恥について──アルノー・デプレシャン覚書
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『キングス&クイーン』(2004)の前年に発表された『"男たちと共に"演技するレオ』(2003)は、本編と... 『キングス&クイーン』(2004)の前年に発表された『"男たちと共に"演技するレオ』(2003)は、本編とそのリハーサル中の映像とを交互に編集した作品だが、潜在的には『二十歳の死』(1991)以来、すべてのデプレシャンの作品には、俳優たちがまさに"演技中"であるかのような印象があった。俳優たちがひとつの表情を成立させようとする過程、あるいは逆に成立させられないでいる状態自体に焦点が置かれ、結果、そのものとして定着された彼らの立ち居振る舞いの脆弱さが、再び物語に還流するかのような具合なのである。少女エスターが女優に変身するまでを綴った『エスター・カーン めざめの時』(2000)の主題も、もちろん演技である。演技の演技というわけだが、しかしこれはメタレベルの高みに立とうという知的な操作(例えば"パロディ")ではなく、むしろ演技の不安定さへと降りていく感覚的な操作であるように思われる。デプレシャ