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銭湯を知らない子どもたち いま考えたら、二十歳で一人暮らしして以来、三十二歳で上京するまで、ずっと... 銭湯を知らない子どもたち いま考えたら、二十歳で一人暮らしして以来、三十二歳で上京するまで、ずっと風呂なしの住居にいた。下宿、アパートと形態は変われど、銭湯へ通う生活が平成に変わってもしばらく続いたのである。 上京して、埼玉県戸田市の風呂付き物件に住むようになってからも、自分一人のためにいちいち風呂の水を抜き、浴槽を洗い、湯をためるのが面倒で、時々は銭湯へ行った。バスタブがせせこましく、でかい体(一八〇㌢近くある)を窮屈に折って入るのもイヤで、思い切り手足を伸ばして湯に浸かりたいという気持ちもあった。 浅草の「蛇骨湯」のように、わざわざ銭湯が目的のためだけに訪れたこともある。 しかし、みるみるまに都内から、この二十年ほどの間に、銭湯は姿を消して行く。私が上京した一九九〇年、都内に一八七六軒あったのが、二〇一四年には七〇六軒まで減少している。これはもちろん、家風呂の普及による客の減少と、