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第36回 大島渚について私が知っている二、三の事柄 その二 - 株式会社現代思潮新社
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第36回 2013年3月 大島渚について私が知っている二、三の事柄 その二 鈴木創士 『大島渚著作集 ... 第36回 2013年3月 大島渚について私が知っている二、三の事柄 その二 鈴木創士 『大島渚著作集 全四巻』 ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』 前回のコラムで「ヌーヴェル・ヴァーグ」などと何の断りもなく書き飛ばしたが、勿論、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」のことでは毛頭ない。これについては大島渚自身が「″ヌーヴェル・ヴァーグ″撲滅論」を書いているので、あえてここでは何も言うことはない。私が言っているのは「私のヌーヴェル・ヴァーグ」のことであり、誰にとっても非常に「私的」である他はないスナップ(?)ショットの動く体系のことである。動く体系だって? それはどこまで行っても掴みどころがない、全体を欠いたシステムであり、流れ去る生と同じように可能性としてすら組織化できないものである。そしてそれはなぜかと言えば、そもそも映画の話なのだから、その場限りの、ただちに消え去る「イマージュ