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待賢門院璋子
時代は飛んで、西暦1000年頃と言えば どういう時代だったでしょうか。 そう、あの藤原道長が、「こ... 時代は飛んで、西暦1000年頃と言えば どういう時代だったでしょうか。 そう、あの藤原道長が、「この世をば 我が世とぞ思う・・」、と絶頂期にあった頃です。 それから100年経って、その藤原氏の勢いも そろそろ終わりかなぁ、と思える1100年頃に、この待賢門院璋子(たいけんもんいん たまこ)、は生れました。 本名は、藤原璋子と言い、辿って行けば道長の何かに当たります、(笑)。 この時の宮廷の権力者は白河法王です。法王とは天皇だった方が退位して出家された名前です。 璋子の父、公実は この法王の近臣でした。美男だったそうです。 母は光子と言います。 光子は法王の子や孫(つまり天皇)の乳母でもありました。ともかく、家柄抜群の両親であります。 この法王の側に寵愛を受けていた祇園女御と言う女性がおりましたが、子がありませんでした。(平清盛の生母だと言う噂は間違いみたいです)。 祇園女御: 「
2011/08/24 リンク