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正岡子規と近代短歌─明治31年の『歌よみに与ふる書』に見る近代短歌誕生の根本問題
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正岡子規と近代短歌─明治31年の『歌よみに与ふる書』に見る近代短歌誕生の根本問題
ゆきゆき亭 こやん 「貫之は下手な歌詠みにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」 明治三十一年二月十四... ゆきゆき亭 こやん 「貫之は下手な歌詠みにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」 明治三十一年二月十四日の『再び歌よみに与ふる書』はこのような出だしで始まる。それにしても「下手な」「くだらぬ」という言い回しは穏やかではない。こうした言葉がセンセーショナルな反応を引き起こすことを、子規は十分計算していたのだろう。この時一体子規は何を突き崩そうとしていたのだろうか。権威だろうか、伝統だろうか、理屈や言葉遊びだろうか、それとも西洋列強に対抗できぬ日本の弱さに対してだろうか。一言で言い表わすことは難しいだろう。 この問題は子規にとって短歌だけの単独の問題ではなかっただろう。むしろ俳句の改革のさいに生じた一つの帰結を短歌にも拡大して論じることで、短歌の改革は俳句の改革よりも急速に明治三十年の前後から行われた。この時俳句にはない一つの問題、つまり「国歌」の問題を避けて通ることができなかった。俳句