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禅語に親しむ
この語の百尺は数値としての長さのことではなく、それほどの高い竿の先と いう意味で、長い修行で至った... この語の百尺は数値としての長さのことではなく、それほどの高い竿の先と いう意味で、長い修行で至った悟りの極地の喩え。しかし、如何ほど高い境地 にあっても、そこに留まって安住していたら何のはたらきも出来ない。 その悟りより、「さらに一歩、歩を進めよ」と言うことは、百尺の竿の先きから 踏み出すほどに不惜身命、命をも投げ出して、衆生救済へ向かってこそ、悟りの 意義があると言う意味。 いったん掴んだ安らいの境地、悟りの世界は大変居心地が いいものらしい。しかし、その居心地のよさで終わって いたら、悟らぬも同じで、何の悟りかというわけである。 晴れた山の頂上は見晴らしもよく、気分もいいものだ。 しかし、そんなところで満足していてはなんの意義がない。 その素晴らしさを、さらに味わい深め、人に伝えひろめて こそ禅者の働きとなる。 百尺の竿灯から一歩踏み出せば、命を失うこと必定である。 しかし、ここで清水