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日本人は「平和憲法」を空気のように受け入れた/「あるくラジオ」で笠啓一さん
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日本人は「平和憲法」を空気のように受け入れた〜「あるくラジオ」で笠啓一さん →放送アーカイブ 2月23... 日本人は「平和憲法」を空気のように受け入れた〜「あるくラジオ」で笠啓一さん →放送アーカイブ 2月23日の「あるくラジオ」のテーマは「93歳のわたしと憲法」でゲストは笠啓一(りゅうけいいち)さんだった。戦争が終わったときが17歳。義兄はフィリピン沖で潜水艦の中で水没死したという。笠さんは「自分もお国のために死ぬのがあたりまえ」と本気で思う軍国少年だった。1945年の敗戦、そして新憲法の公布。パーソナリティがこう尋ねた。「憲法は押しつけという人がいますが、どうだったのですか?」。ゆっくり言葉を紡ぎ出す笠さん。「とんでもない。私たちは空気のように受け入れた。こんなひどい戦争がなぜ起きたのか。日本でもアジアでもひどいことをした。二度としてはだめだ。それが全国民のいつわざる気持ちで、憲法は日本人の体の中にすっぽり入っていたのです」「ダグラス・ラミス氏が書いているが、平和憲法がうまれたのはあの数年の