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良かれ悪しかれ 音をみる
▲ (注)あまりにも単純で稚拙な文章で恥ずかしいのだが、1996年、大学入学当時に書いたもの。今はもうす... ▲ (注)あまりにも単純で稚拙な文章で恥ずかしいのだが、1996年、大学入学当時に書いたもの。今はもうすこしまともなことを考えているような気がする。文中のリンクは途中でめんどくさくなったので挫折。ほとんどのアーティストのページはWebに存在するだろう。 「音楽を見るということ invisible see」 すべての音は音楽である。鳥の鳴き声や、人々の雑踏の話し声、川の流れる音、工場や自動車の騒音や、電車のガタゴトいう音も、普段は聞き流しているが、意識して聴くならば(偉人フランク・ザッパの定義に従うと、「額縁」を据えるならば)音楽になる。(夢野久作の哀しい短編小説「童貞」は、大地と大空とが直接に奏でる環境音の音楽に涙しつつ死んでいく音楽家の物語だ。)そして、それら人間の生活に深くかかわっている音楽を聴くと、その風景が頭の中に思い浮かぶ。 祇園祭りの囃子の鳴り響く土地で生まれ育った人にとって、