エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
|数学の贈り物|みんなのミシマガジン
弘法大師空海は、まだ真魚と呼ばれていた7歳のとき、標高481mの倭斯濃山(わしのやま)に登り、断崖に... 弘法大師空海は、まだ真魚と呼ばれていた7歳のとき、標高481mの倭斯濃山(わしのやま)に登り、断崖に自ら身を投げた。 「私に衆生を救う力があるならば、釈迦如来よ、姿を現したまえ。そうでないならば、この身は諸仏に捧げよう」 そう覚悟を決めて、真魚は潔く絶壁から飛び降りた。 伝説によればこのとき俄に紫雲とともに釈迦如来が出現し、雲の中で天女が真魚を優しく抱きとめた。 あらゆる執着を手放したとき、人ははじめて周囲に充ち満ちているものの気配に目覚める。無防備に深闇にすべてを投げ出すとき、人はそれをどこかで優しくうけ止めてくれる、不思議な愛の腕(*1)に包まれる。 手放せば手放すほど、現れる。あきらめればあきらめるほど、頼もしくなる。この逆説にこそ、心のはたらきの神秘がある。 かつてフランシスコ・ヴァレラ(1946-2001)は、その早過ぎる死を前にして、慈愛に満ちた笑みを浮かべて呟いた ― Lif