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世界の惨状をつくり出した“優れた機械”の克明ルポ / SAFETY JAPAN [書評] / 日経BP社
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世界の惨状をつくり出した“優れた機械”の克明ルポ / SAFETY JAPAN [書評] / 日経BP社
「カラシニコフ」 「カラシニコフII」 松本仁一著 朝日新聞社 それぞれ2004年7月16日、 2006年5月3日... 「カラシニコフ」 「カラシニコフII」 松本仁一著 朝日新聞社 それぞれ2004年7月16日、 2006年5月3日発行 各1,470円(税込み) 日本は、第二次世界大戦終結の直前、米国の手により2発の原子爆弾を投下された。昭和20年8月6日広島、同年8月9日長崎。様々な統計が存在するが、急性放射線障害が一応の収束を見た昭和20年末までに、広島では約14万人、長崎では約7万人が死んだという。その後も放射線障害によるがんや白血病などの被害は延々と続いた。 第二次世界大戦後、米国とソビエト連邦は冷戦に突入し、地球を何度も破壊できるほどの核兵器を備蓄した。両陣営とも核兵器の生産と運用のために莫大(ばくだい)な投資を行った。 1987年、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長は、核兵器を実戦で一回も使うことなく冷戦を終結させた。人類絶滅の悪夢を振りまいた核兵器は、広島と長崎以降、