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明治の愚行 廃仏毀釈で破壊された内山永久寺
瀬木真一氏は著書『日本美術の海外流失』で以下のように述べている。 新聞は、1980年9月アメリカのボス... 瀬木真一氏は著書『日本美術の海外流失』で以下のように述べている。 新聞は、1980年9月アメリカのボストン博物館で、鎌倉時代中期の「四天王図四幅」が発見されたと報じた。この四天王図は、奈良県天理市杣之町にあった永久寺が所蔵していたもので、廃仏毀釈による永久寺の廃寺により行方不明になっていたものだったのです。 ボストン美術館所蔵 「四天王図四幅」のうち「広目天」である。 永久寺は鳥羽天皇の勅願により、興福寺大乗院第2世頼実が永久2年(1134)に創建したと伝える壮麗な大伽藍がある大寺です。 江戸期には真言宗の寺として栄え、仏像や建築物には見るべきものが多かったと言います。しかし、明治の廃仏毀釈により僧侶はすべて還俗して、堂塔坊舎は破壊され、近隣の住民の薪となり、経典などの焼きすてられたり、持ち去られました。 また、別の記述では、古仏・仏画は何でも二束三文であったと言います。この頃、金泥の経巻