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月之抄1/4 柳生十兵衛三厳 古武術サイトシュハリ
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月之抄1/4 柳生十兵衛三厳 古武術サイトシュハリ
柳生十兵衛三厳の代表作。流祖上泉伊勢守、祖父宗厳、父宗矩、十兵衛へと続く新陰流の集大成といえる名... 柳生十兵衛三厳の代表作。流祖上泉伊勢守、祖父宗厳、父宗矩、十兵衛へと続く新陰流の集大成といえる名著。非常に長いので7s回に分けて掲載していきます。 原文をこの色で表記します。 寛永三年拾月日、さることありて若(徳川家光公)の御前を退きて、私ならず山にわけ入りぬれば、自ら世を逃るると人は云うめれど、物うき山の住まい、柴の庵りの風のみ荒れて、懸け樋ならでは露音のうものなし。 この世の外はよそならじ、侘ても至つれづれ(寂しく所在がない)、先祖の跡を訪ね、兵法の道を学ぶと云えども、習いの心持ち易からず。 ことさらこのごろは自得一味上げて、名を付け、習いとせし傍ら多かりければ、根本の習いをも、ぬしぬしが得たる方に聞き請けて、門弟たりといえども、二人の覚えは二理と成りて理定まらず。 さるにより、秀綱公(上泉伊勢守)より宗厳公(祖父・石舟斎)、今宗矩公(父・宗矩)の目録を取り集め、流れを得るその人々に