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空虚に因果の鎖を留める (「ピエール・ルジャンドルとドグマ人類学」、『現代思想』2003年9月号より)
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空虚に因果の鎖を留める (「ピエール・ルジャンドルとドグマ人類学」、『現代思想』2003年9月号より)
空虚に因果の鎖を留める (「ピエール・ルジャンドルとドグマ人類学」、『現代思想』2003年9月号よ... 空虚に因果の鎖を留める (「ピエール・ルジャンドルとドグマ人類学」、『現代思想』2003年9月号より) 〈構造〉の側からいえばそういうことになるが、一人ひとりの人間の側からすれば、このことは〈生〉を、自分と世界とを納得するということだともいえよう。この「納得」の構造は意識的なものではない。「納得」は無意識のうちに、あるいはまさに裏打ちのない意識として、社会を支える言説との関係で作り出されるのだ。ここで詳述する余裕はないが、このメカニズムをルジャンドルは「ドグマ的組成」と呼ぶ。そこには、言葉と物との結びつき、コミュニケーションの可能性(なぜことばが通じるのか)、根拠と正統性の設定、原因の言説の支え、主体の同一性の設定といった事柄が含まれる。 「なぜ」の問いは因果関係の連鎖を引き起こす。だがその連鎖は無限に繰り延べることはできない。溺れる者がつかむ鎖は、どこかに繋ぎ留められていなければ役に立た