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カルチュラル・スタディーズ
トップページにもどる 論文・口頭発表の目次にもどる 成城大学文芸学部・学術講演会(2002/6/20)での口... トップページにもどる 論文・口頭発表の目次にもどる 成城大学文芸学部・学術講演会(2002/6/20)での口頭発表原稿をもとにしたもの。加筆して『日本常民文化紀要』に発表予定。 文化人類学からみたカルチュラル・スタディーズ ――文化・民族誌・ポストコロニアル―― 小田 亮 1.はじめに――カルチュラル・スタディーズの移入 日本で「カルチュラル・スタディーズ」という言葉が注目されはじめたのはほんの数年前の1996年のことである。1990年頃にアメリカ合衆国でカルチュラル・スタディーズが新しい分野として広まり、1990年代にイギリスやアメリカの大学でカルチュラル・スタディーズの「学科」や「学部」が設立されていったことの影響もあって、1996年に、カルチュラル・スタディーズの代表的存在であるスチュアート・ホールやメディア研究でのオーディエンス論を展開したデイヴィット・モーリー、フェミニズムの立場