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ブックマーク / kokokubeta.livedoor.biz (7)

  • 広告β:多様化だから一人勝ち、多様化したら全員負け

    当なのかどうか確かめていないけど、市場が多様化しているらしい。それと同時に、一人勝ちの商品やら、サービスやらが出てきているらしい。このふたつのことがもし傾向として真実ならば、「ものごとがバラバラになりながら同時にひとつに収束していっている」ような感覚になって、どうも頭が混乱してくる。自分の中で整理するために、補助線を一引いてみる。 なにかの統計データを見るまでもなく、個々人にとって商品・サービスの選択肢は増え続けており、かつ情報ソースもたくさん得ることができるようになってきている。しかしこれはあくまで、可能性としてそうであるということだ。実際のところわたしの一日は24時間のままだし、わたしの記憶力や好奇心も急に2倍になったりはしない。ここの落差がミソなんだと思う。 だれでも、自分が興味のあるいくつかの分野以外は、素人である。個人が持つ時間と能力が大きく変わらない以上、これからもずっ

  • 広告β:ブログユーザー≒ノートPCユーザー(というでっちあげ仮説)

    最近エントリ頻度がものすごく低下していたりするのだが、 改めて考えてみると、意外なところに要因があった。 「デスクトップパソコンを使っていた」のである。 ノートパソコンの調子が悪くて、最近使っていなかった。 その代わりにデスクトップを使っていたのだが、我が家の事情により デスクトップの手前の部分が物置状態になっており、キーボードを置けない。 キーボードから何かを入力しようとすると、片づけを行わなくてはならない。 その結果、めんどくさくなって、エントリを書くことも少なくなったのである。 (でも、マウスは使えるし、画面そのものはデカイので、ウォッチはしている。) と、変なことを書いたが、これを変な方向に一般化する。 「ブログの投稿量は、インプットデバイスの利便性に比例する」。 私の場合でいうと、インプット利便性は圧倒的にノート>デスクである。 で、無理矢理ここで議論を一

  • 広告β:役に立つほうの冗長

    ブログ界隈を歩いていると、私が呼ぶところの 「飯が三杯えるエントリ」をたまに見かける。 これには二つの気持ちを込めていて、ひとつは単純に 3エントリ分くらい濃縮された内容があるという賞賛の気持ち。 もうひとつは、3エントリに分けて書けばいいのに、 性急にまとめて書くものだから、その意味が広く理解されない だろうなあ、という、もったいない気持ちだ。 実際、その短くも深い指摘からしばらくして、別のブロガーが 前後の文脈を書き足してエントリをあげて、より大きく評価されている ことがあったりする。 そういうことを見るに、やはり簡潔かつ明快に書いた結論だけじゃなくて、 それにいたる逡巡や、背景説明というものの意味合いの深さを知る。 冗長に見えるが、それは必要な冗長さというものなのだろう。 最近は、遠くの人と一緒に仕事をすることが多い。 遠く、というのは、物理的にちょっと

  • 広告β:濃さで階段を作らないとWeb施策が育たない

    ネット施策でいつも、どうしたものかと思うことがあるのだが、 一見さんだらけの店にするか、常連さんだらけの店にするかということ。 アクセスとか、コンバージョンとか見ているのだけれど、 テレビとかから半ば無理やり誘引をかけると、一見さんだらけの店になる。 ネットでこっそり始めて、最適化を繰り返すと、常連さんだらけの店になる。 どっちもそれなりに悲しい面はあって、一見さんだらけの店は持続性がない。 常連さんだらけの店はどんどん濃くなっていって、ボリュームが縮小するか、固定する。 で、いま思っているのは、「一見さんに優しくレクチャーしてくれる常連さん」みたいな 人をどうやって集めたり、育てたりするのか?ということである。 理想形はわかっている。基、常連さんにとって居心地のいい店にしておきながら、 その常連さんがたまには一見さんを連れてきてくれて、親切に一見さんに教えてくれる。

    extramegane
    extramegane 2007/06/28
    ふへんてきなもんだい
  • 広告β:語り部と胴元―物語ルールのクリエイティビティ対決

    RPGというゲームは、何らかのメッセージを伝えているだろうか。 個人的な経験から言うと、そうであるともいえるし、そうでないとも思う。 勇者がモンスターを倒し、お姫様を救うという物語があるとすれば、 これは勧善懲悪的なメッセージにつながるのかもしれない。 その一方で、弱いところから出発して、戦闘を重ねて強くなり、パーティを組む ルールがゲームにあるならば、そこから成長や協力を読み取ることもできる。 RPGにおいてメッセージ性を持たせる要素は、上述したような 物語要素とルール要素の絡み合いがもたらしていると考えられる。 私の属するようなオールド系広告会社というのは、仕事の半分以上を 「どういうメッセージを伝えるか」「メッセージを効果的にどう伝えるか」に割いている。 いわば、企業なり商品なりのよさを伝える、語り部としての機能である。 うまく物語をつむぐことによって、特定のメ

  • 広告β:プレゼンの罠―相手は意外とわかってない

    いいプレゼンをしたと思ったのに、そしてそのアイデアも緻密なのに負けることがあります。 プレゼンの勝ち負けは政治的なものが絡むこともありますし、判定は難しいのですが、 実は、相手がよくわかっていなかったがために負けた、というパターンが多いと思います。 プレゼン後には質疑応答というものがたいていあるので、そこでの質問を 注意深く聞いているとわかるのですが、的外れというか、詳細などうでもいい 部分について質問が相次いだ場合には、かなり注意が必要です。 こちらとしては、「筋は同意なんだ、だから詳細について質問が来るのだな」と 好意的に捉えてしまいがちなんですが、内容がよくわからないので単に わかる部分(詳細な部分部分)について質問が来ているだけだったりします。 プレゼンされるほうは、プライドというか面子があるので、よくわかってなくても 偉そうに話している相手の前では、「うんう

  • 広告β:ベルリッツのCMは正しいの?

    マーケティング・リサーチの寺子屋さんより。最近のCMでとても気になることがあります。それは、「○○調査で一番になりました」「みんなに支持されています」というニュアンスのCMの多さです。・・・(中略)・・・数字は一人歩きします。しかし、その数字の根拠=誰に聞いたのか、どのように聞いたのかを確認する術を提示することなく、数字のみを発表するというのは、自覚的にであれ、非自覚的にであれ、かなり罪が重い行為だと思うのです。 極論すれば、調査結果なんて、自分の都合のよいように操作することはできるからです。まったくもってその通りです。 ○○%とかいう、具体的な数字で説得することはそれほど悪いとは思わないですが、 統計でウソをつく系のが多いことからわかるとおり、調査結果系の数字を 広告に使うのはかなりグレーな部分が多い気がします。 たとえばベルリッツのこれ。どうおもいます? 「初級からはじめ

    extramegane
    extramegane 2007/01/11
    すばらしい意見で賛同します。心強い。しかし、こんにちのマスメディアで適正なものってあるのかなあ。
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