映画「地獄の黙示録」の原作だが、深淵を覗き込む感覚はこっちが上。 怪奇譚として読んだが、不安感覚が続くつづく。霧の中に連れて行かれ、そのまま取り残されたような気分になる。著者コンラッドの意図的な不明晰さがそうさせているのか。解説によると、彼自身、foggishness と呼んでいるそうな(コンラッドの造語で『霧的』とでも訳せばよいか)。 コンゴ奥地で王として君臨する白人、クルツの狂気を核に、崇拝する異形の黒人たちや、死臭をたたえて流れる大河、人の侵入を拒絶するジャングルが取り囲むように配置されている。物語の語り手は原生林の奥深くに分け入り、クルツに会いにいくのだが―― 同じ深淵を目指したノンフィクション「コンゴ・ジャーニー」よりも、もっと粘度の高い恐怖が描かれている。命の危険を感じる「怖さ」ではない。もっと原初的なものにふれて強制的に呼び覚まさせる純粋恐怖が語られている。遺伝子に刻み込まれ